”帰還”移民が集まる、メキシコシティの「リトル・ロサンジェルス」

欧米の大都市を訪れると、「リトル〇〇」と呼ばれるエリアがいくつかあることに、気づく人も多いだろう。ロサンジェルスにあるリトル・トーキョーのほか、リトル・イタリー、リトル・イスタンブールなど、これらのエリアは、特定の地域からの移民を歴史的に多く受け入れてきた。現在も、一定の文化的・民族的背景を共有する移民が集住していることが多く、チャイナタウンもそうしたエリアの一例であるといえる。不慣れな異国の地で、言葉や文化の壁もあるなか、お互いに仕事や住居などの機会を提供し、生活を支え合うネットワークが、こうしたエリアにはある。

メキシコシティでの滞在中、「リトル・ロサンジェルス(Little Los Angeles)」というニックネームがついたエリアがあることを噂に聞いた。例えばリトル・イギリスやリトル・アメリカなど、移民を受け入れる側の国名がついたエリアを、欧米圏以外の都市ではあまり見たことがなかったので、驚いた。


革命記念塔(Monumento a la Revolución)で有名なタバカレラ地区。早速足を運んでみると、近代的なビルとヤシの木が並び、確かにロサンジェルスにも見えなくはない。行き交う人々は若者が中心で、他のエリアよりも英語が聞こえてくる割合が高い気がした。ハンバーガー、ホットドッグ、ブリトーなど、アメリカらしいジャンクフードを売る売店も多い。

昨今、トランプ政権の影響下で、米国から強制出国される移民が増えた。過去にメキシコからアメリカに渡った移民、そしてその子孫で、強制的・自主的にメキシコに逆戻りするパターンが、最近非常に増えているという。

数年前、タバカレラ地区に大規模なバイリンガルコールセンターがオープンし、流暢な英語を話す帰還移民がスタッフとして積極的に採用されるようになった。アメリカ育ちのメキシコ系帰還移民が、徐々に噂を聞きつけて集まりはじめ、次第に「リトル・ロサンジェルス」と呼ばれるようになったという。

文化的背景やライフスタイルが似ている人と一緒にいたいのが、人間の性だ。メキシコ系移民の2世〜3世は、アメリカ生まれ、アメリカ育ちが多い。話し方、ファッションや料理の好みなど、メキシコ系といえど、本場メキシコ人とは異なる部分は多い。スペイン語を堪能に操れない帰還移民も多く、メキシコ現地で公立学校に入るのが難しいケースも相次いでいるという。メキシコにはもう親戚がいない、というケースも多い。

2つの文化の間に生きる人々にとって、新しい環境での生活に適応することは、簡単ではない。米国でメキシコ移民として差別され、強制出国された人々は、彼らのルーツがある国に「帰った」として、そこが安心して暮らせるホームであるとは限らない。文化の違いから、またここでも差別される可能性もある。

リトル・ロサンジェルスでは、最近メキシコにやってきた帰還移民が、メキシコでまた生活を立て直すためのヘルプラインが整っている。気軽に英語で相談できる市民センターPoch@ Houseでの援助や、新しい地で就職の難しい帰還移民を積極的に雇用するスタートアップもできた。


ディアスポリック・アーバニズム、という概念がある。グローバルに人々が移動し、「ホーム」という概念が多様化する現代において、都市のサービスやインフラも、それに合わせて柔軟にアップデートされるべきだ。文化の多様性、移住・移民・越境というテーマに、デザインや都市計画、建築の分野はまだまだ遅れをとっているように思う。

アメリカからメキシコへの帰還移民は、現在も増加を続けているという。彼らの存在が、リトル・ロサンジェルスと呼ばれるタバカレラ地区はもちろん、メキシコシティをどう変化させてゆくのか。今後の展開が楽しみだ。